戦友が逝ってしまった。
イラク派遣から帰国した2004年、新車で購入したジープTJラングラー。
こだわりの5速マニュアルトランスミッション(5MT)の幌仕様車だ。
ナンバーは、アメリカ陸軍史上、最強であったとされる日系アメリカ人部隊「第442連隊戦闘団」にちなんだ。
当時は、上級陸曹になったばかりで下士官勤務として脂がのっていた頃だ。”Jeep goes anywhere” (ジープはどこへでも行く)の謳い文句を自分の生き様に重ねたかった。
アメリカ陸軍に留学中に愛用していたのも本家左ハンドルの1998年式TJラングラーだ。
元祖JeepであるウイリスMB/フォードGPW(上の写真を参照)の面影が色濃く残る濃緑色の幌車だった。5MT車であったことは言うまでもない。
年間を通して雨が少ないテキサスはジープ乗りがやたらと多い。初夏の駐車場では、偶然隣り合わせたジーパーと「そろそろ幌を外すシーズンだね?」「いや、ドアを外す季節だよ!」なんて会話が弾んだのを覚えている。
あれから15年、良くも悪くもジープと苦楽を共にしてきた。
最初のリフトアップは、マンションの駐車場で自分でやった。米国のパーツカタログには、作業が2〜3時間で済む”EASY”に区分されていた。だが、実際にやってみると8時間もかかった。無理な姿勢で作業し続けたためか、めまいがした。最後の増し締めを忘れアルミホイールを1本ダメにした。整備の厳しい現実を教えてくれたのもコイツだった。
iPhoneの発展とも時代は被る。GPS機能が当たり前のように搭載され、地図データがメモリーされるようになると電波が「圏外」の時ですら現在位置と通ってきた”軌跡”を表示出来るようになった。支笏湖から千歳・恵庭の林道をくまなく走って年毎に色を変えた軌跡で地図データを塗り絵のようにして楽しんだ。
短いホイールベースのためか、冬季の凍結路面ではスピンすることも何度かあった。分離帯などに激突したが、その度に丈夫なラダーフレームが大切な家族を守ってくれた。
走行距離が24万キロを超えた頃からその兆候は現れた。クラッチの摩耗だ。シフトアップしてアクセルを開くと一瞬回転が上がりマニュアル車なのにまるでオートマ車のキックダウンみたいな感覚だった。
それでも何とか来月の車検切れまできっちり乗れるだろうとタカをくくっていた。
だが事件は、突然起こった。
昨日、一般道を走行中、車内に焦げた臭いが充満しだした。ふとルームミラーを覗くと後方が白煙で霞んでいる。どおりで後続車が次々と追い越して行くわけだ。
それでも何とか自宅まで頑張ってくれ!と心の中で叫びつつ運転を続けたが、あれよあれよといううちに動力伝達がほぼ出来なくなり敢え無く路肩に緊急停止。ロードサービスのお世話になった。
ディーラーの整備工場長いわく「24万キロ以上、一度もクラッチ交換なしなんて奇跡!!」だそうだ。そういえば、バッテリーも新車から13年間、一度も交換せずに持った。いろんな意味で奇跡の連続だった。工場長との付き合いもジープとともに時が流れた。
自衛隊を定年し、収入は半減。おまけに新車から13年を経過した車には15%増しの重課税がのし掛かる。「もはや身の丈にあった軽自動車に移行する時期が来た」と判断したものの、一方で「せめて車検切れまではしっかり乗ろう」とも思っていた。断腸の思いだった。
きっと俺に対する最期の反逆だったのだろう。長年連れ添った相棒を、修理すればまだ乗れると知りながら手放すことを決意したのだから仕方がない。本当にごめんよ。そしてありがとう。
〜 ジープよ、永遠に。 〜
という訳で、しばらくの間、自宅からGunTREXへの移動は公共交通機関”JR” & 徒歩になる。ご利用者さまにご迷惑を掛けることはないと思うが、どうか温かい目で見守って頂きたい。
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